Yu-Run記

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【マラソン】別府大分毎日マラソン、2時間55分55秒で完走

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2017年2月5日(日)、第66回別府大分毎日マラソン(大分県大分市・別府市)のフル(42.195km)に出場。2時間55分55秒で男子812位(男子完走者2811人中)で完走しました。

距離/スプリット(5kmラップ)[1kmペース]心拍[心拍最大]ピッチ/歩幅
05km 0:20:53(20:53)[4:11]153[162]196 125
10km 0:41:43(20:50)[4:10]154[159]197 123
15km 1:02:38(20:55)[4:11]156[167]199 123
20km 1:23:23(20:45)[4:09]158[164]200 121
25km 1:44:47(21:24)[4:17]155[162]198 119
30km 2:05:57(21:10)[4:14]159[165]199 120
35km 2:27:29(21:32)[4:18]162[169]198 118
40km 2:47:25(19:56)[3:59]170[175]198 128
Finish 2:55:55(8:30)[3:52]176[179]195 136
(1km平均4分10秒1,心拍平均158[心拍最大179]ピッチ平均198,歩幅平均123)
※スタートロスは13秒
前半 1:27:56(1km平均4分10秒1)
後半 1:27:59(1km平均4分10秒2)

別府大分毎日マラソン(別大)といえば、長年レース出場しているランナーにとっては「エリート大会」の位置づけ。2010年(第59回)までは出場資格が公認コースでのグロスタイムが2時間50分以内、それもレースの関門時間が最初の5kmでスタートして20分とキロ4分ちょうどのペース、さらにハーフで1時間24分…つまり実質的に2時間45分くらいの実力がないと完走できない大会でした。私も2009年3月の東京・荒川市民マラソンで2時間48分46秒と参加資格のタイムは記録したものの、別大を完走するまでの実力ではないので、2010年は参加せず。
で、2011年の第60回記念大会から参加資格が大幅に緩和され、持ちタイムがサブ3(2時間59分59秒以内)は定員なし、3時間00分00秒~3時間30分00秒は定員制で参加資格が与えられました。こうなると私にとっては単なる市民マラソン大会の位置づけになり、開催時期が2月上旬だとまだフルでベストタイム前後で走るスピードに仕上がっていないので、ずっと参加は控えてました。しかし、サブ3ランナーは定員なしということもあり、毎年サブ3ランナーの参加者が増え、レースでサブ3を達成するランナーも非常に多く、昨年・2016年(第65回)は1209人(男子1192人、女子8人、視覚障害者男子9人)で同年の東京マラソン(1139人
(男子1077人、女子62人))より多く、日本国内での1大会サブ3達成者が最多ということで、サブ3で走れば、周辺のランナーがみんな「ペースメーカー」になりますし、向かい風の状況であれば「風よけ」にもなるので、記録を出しやすい(コースのアップダウンもあまりない)。現にアール・ビーズ社発行「ランナーズ」誌に掲載されている「全日本マラソンランキング」でのベストタイムレース、サブスリーランナーだと別大は非常に多い、つまり昨年度のベストタイムレースは別大というランナーが多いということです。
なので、私も2017年、初めて別大出場することにしました。
レース2日前の2月3日夜に大分入り。別府駅前にある民宿の大部屋で3泊(ただし事前予約は不可なので、その日空いていれば宿泊可のシステム。連泊は前泊の翌朝にその日の夜の宿泊申込について可)。
大会前日、昨年も出場して2時間45分台の自己ベストを記録した東京在住の道産子ランナー仲間といっしょに別府駅から西に約1km離れたビーコンプラザでマラソン受付と「ランナーの広場」で各種飲食や販売コーナーを回る。250円の飲食券が2枚ついていて、いろんな飲食を選んで食べる(または持ち帰る)ことができるのはとてもいいサービスですね。
夕食は別府駅内の飲食店に入ったところ、札幌のマラソン仲間がいてビックリ。やはり別大は北海道からも多くのランナーが出場しているので、そういうこともありますね。
レース前夜から別府市内は雨が降るも、朝方には雨がほぼ上がり、9時過ぎ民宿出発。北浜バスターミナルそばからスタート地点の高崎山・うみたまご行シャトルバスに乗車。高崎山・うみたまご到着し、カテゴリー2・3の控室であるうみたまご3階へ行くと、雨が朝方まで降っていた影響で既に多くのランナーがひしめき合う状態。私も端の方で自分が座るスペースをなんとか確保。雨が降ると屋外待機が厳しくなるので、室内スペースが大混雑…ということになりますね。仕方ないところです。
レーススタート35分前(11時25分)に荷物を預け、選手集合場所へ。基本的には持ちタイム順になっている番号ごとにブロック分けされているものの、そのブロック自体は仕切られているわけではないので、中には本来その番号はその位置から後方という方がいたりすることもありますが、自分の位置だとロスタイムはせいぜい10秒前後。後半型の私にとってはほとんど問題なし。もし前にいたりすると後ろから抜かれまくり、かえって危ないですね…。
12時00分、うみたまご前からレーススタート(写真上から2枚目)。
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私の周辺はみんなサブスリーランナー、それも持ちタイムは2時間50分前後ということで、始めからキロ4分ちょうどくらいでいくランナーばかり。よって、スタートロスは13秒でしたが、3車線の幅広い道路ということもあり、30秒くらいで自分のペースで走れるように。スタートでストレスがないのは本当に嬉しい限り。最初はキロ4分05秒くらいでいきたかったものの、気温11度、天気は曇りということで、私にとってはやや肌寒い気象条件だとカラダはまだ本調子ではなく、キロ4分10秒くらいでいく。
5km地点通過は20分53秒(スタートロス13秒を含む)。キロ4分11秒ペース。5.5kmで昨日、風景印押印で寄った別府郵便局の前を通過(写真上から3枚目…大会前日(2/5)撮影)。
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このあたりで小雨が降る状況に。トップランナーならちょうどいい雨というところでしょうが、私にとってはカラダが冷え、もうトイレに駆け込みたくなってしまい、トイレの位置を確認。
別府市街から北の第1折り返し(亀川漁港前)を過ぎた直後が10km地点。その通過は41分43秒。5~10kmの5kmは20分50秒(キロ4分10秒ペース)。11km手前で仮設トイレが2基あり、うち1基のトイレから選手が出ていくところを見かけ、その空いているトイレに入るべくスピードアップし、無事トイレに入って用足し。トイレのロスタイムは約25秒。これでトイレのことを気にせず、走りに集中できる状態に。雨もこの時点でほぼ止む。しかしペースはキロ4分10秒前後と一向に上がらず。
15km地点通過は1時間02分38秒。10~15kmの5kmは20分55秒(キロ4分11秒ペース)。前回の防府は5kmからキロ4分05秒ペースでフィニッシュまでイーブンでいっただけにここからペースをキロ4分ちょうどくらいに上げてみたものの、心拍数がそれまでの155から一気に160まで上がり、このままのペースでフィニッシュまでいける体調でないと判断。1kmほどでキロ4分10秒前後のペースに戻し、この時点で2時間50分切りの目標は断念。正直、次の目標を立てるだけの気持ちにはならず、自分の状態が上がってくるのをひたすら待つ走りに。
スタート地点のうみたまごを通過した直後の20km地点通過は1時間23分23秒。15~20kmの5kmは20分45秒(キロ4分09秒ペース)。そして中間地点通過は1時間27分56秒(キロ4分10秒ペース)。心拍数は156~158と決して高くないので、サブスリーでの完走はまず大丈夫なものの、本来の調子からほど遠い走り。中間地点を通過してからペースがキロ4分15~20秒に落ちてしまう。
西大分駅前を過ぎたところの25km地点通過は1時間44分47秒。20~25kmの5kmは21分24秒(キロ4分17秒ペース)。かろうじてほぼサブスリーペースを維持。このあたりから大分市街に入り、なんとかキロ4分15秒以内で走ろうと心がける。26.4kmで昭和通りに入り、大分県立美術館前を通過。27.3kmで左折し、中央通りを北進。そして28.0kmで右折し、臨海産業道路を7km東進。29.5km付近で右手にフィニッシュ地点の大分市営陸上競技場。これからフィニッシュ地点から5.5km先の第2折り返しに向けてどんどん離れる状況…この状況はどこかでも体験していると思っていたら、そう7月開催の「札幌・豊平川市民マラソン」が31km過ぎでフィニッシュ地点そばを通過し、5.5kmほど先の第2折り返しへ向け、フィニッシュ地点からどんどん遠ざかる…シチュエーションがだいたい同じ(異なるのは第2折り返し→フィニッシュの距離が別大約7.2km、札幌・豊平川市民約5.5km)。豊平川は仮想「板橋/大井川/加古川」等の河川敷コース大会としていいトレーニングになりますが、別大でも豊平川のレースが活きてくるとは。新しい発見です。競技場そばでは札幌勤務もあり、現在は大阪在住の新聞記者の方からマラソン取材ついでの沿道応援がありました。
30km通過は2時間05分57秒。25~30kmの5kmは21分10秒(キロ4分14秒ペース)。ペースはずっとキロ4分10秒を超え、31kmからはキロ4分20秒前後とさらにペースが少し落ちてしまう。このままだとサブスリーぎりぎりのタイムだなぁ、と思って走っていたら、34kmあたりで同じ北海道から出場の知り合いのランナーに並ばれる。持ちタイムはそのランナーが速いものの、5km過ぎで私が抜いた際、声をかけたのですが、粘りの走りで再び並ばれる。私もこれ以上ふがいない走りはできないと気をとりなおし、走りを切り替え、ペースを少しずつ上げる。
第2折り返しを過ぎた直後の35km地点通過は2時間27分29秒。30~35kmの5kmは21分32秒(キロ4分18秒ペース)も、34~35kmは4分07秒にペースが戻る。ここからキロ4分半ペースでもサブスリーですが、35km地点を過ぎてキロ4分ちょうど前後のペースへさらに上げ、前にいるランナーを次々に抜く。本当にやっとエンジンがかかってきた状態。
40km地点通過は2時間47分25秒。35~40kmの5kmは19分56秒(キロ3分59秒ペース)と20分(キロ4分ペース)を切り、やっと本来の走りに。完全にエンジンがかかったのが遅すぎ状態。残り2.195kmとなり、さらにペースを少し上げ、ハーフマラソンくらいのスピードに。そして競技場に入り、2時間55分台が見えてきたので、ラストスパート。競技場を4分の3周してフィニッシュ。タイムは2時間55分55秒。前回の防府よりタイムが3分以上落ちてしまうも、しっかりサブスリーでの完走。40kmからのラスト2.195kmは8分30秒(キロ3分53秒ペース)。多分ラスト2.195kmだと過去最速タイムだと思います(34kmまでは実質手を抜いて走ってましたので…)。(フィニッシュ地点写真…上から4枚目)
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今回のレースで2017年の初サブスリー。2006年から12年連続でサブスリーを継続。そしてサブスリーの通算回数は節目の60回目となりました。
順位は男子821位でしたが、35~40kmは231位、40km~フィニッシュは198位。北海道登録の男子完走選手35人中14位でしたが、35~40kmは5位(20分切りは5人のみ)、40km~フィニッシュは3位(1、2位は2時間35分以内のタイム)。で、中間地点1125位、35km1097位、40km899位(198人抜き)、フィニッシュ821位(78人抜き)と後半で304人抜き、35kmからだけで276人抜き(100mごとに約4人抜く計算)。ただし、30kmまでがあまりにも遅い走りだったのでふがいないですね。体調的も調整ができてない感覚でしたし、初コースにもかかわらず、過去のテレビ放送等で「予習」することもなく、コースのイメージをつかんでない状態でレースを走ってしまったのも反省点。私はコース形態をしっかり把握して、ペース配分を考えた走りをするタイプなので、今回はそれがほとんどできず、35kmまではただ走った(練習)という状態。このふがいない走りの借りはもちろん、同じレースでしっかり走ることでしか返すことができないので、来年も別大出走するつもりです。来年は絶対2時間50分切りできる走りを目指していきたいです。
で、別大の借りは別大で返すとしても、私にとっては3月に静岡、板橋とフル2本のレースを控えています。昨年・2016年は静岡2時間51分27秒、板橋2時間52分54秒とベストタイムを出した2012年板橋(2時間47分55秒)以降、この5年では1番、3番(昨年防府が2番)のタイムを出している相性のいい大会なので、レースに向けて体調をしっかり整えて、2時間50分前後で走れるようにしたいですね。
レース後、ふぐの雑炊サービスがあり、私にとって冷えたカラダにはとてもありがたくいただきました。(写真上から5枚目)
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レース後は大分駅前に移動し、駅近くのふぐ料理店で東京のランナー仲間と「完走パーティー」としてふぐコース料理を食べる。(写真上から6枚目)
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その東京のランナーは2時間45分台(330位台…私とは10分以上の大差(苦笑))と昨年の別大で記録した自己ベストを1秒更新し、2年連続自己ベストの走り。それも後半が前半より速い「ネガティブスプリット」。後半だけなら222位。私もラストは頑張った走りながら、東京のランナーは35~40km19分29秒、40km~フィニッシュが8分27秒と私は完敗。自分もこういう走りができるよう精進するしかないですね。
本当に反省しかない大会になりましたが、この走りを母に伝えたところ、北海道マラソンでもそのような走りをしていたね、と言われ、35km手前からのペースアップの走りのことを思い出しました。2001年(第15回大会)、5度目の出場で天気は曇りながら正午の気温が27.2度の中、12時10分・真駒内屋外競技場をスタート。しかし、レース直前にエネルギーを蓄えるために食べたものが消化しきれず、序盤で具合が悪くなり、6km地点で戻してしまう。体調は落ち着いたものの、胃袋がからっぽとなり、水も受けつけず、すぐにガス欠状態に。15km地点沿道(南郷7丁目駅前)で母の応援を受けた際、次に30km地点沿道(札幌駅北口)の応援をしてもらう予定だったので、ゼリー飲料購入をリクエスト。30km地点沿道で母からゼリー飲料を受け取って補給。数キロ走ったところでやっとエネルギーが回って調子が戻り、35km地点手前でキロ4分半ペースに戻したところ、35km地点にいた役員から関門閉鎖まで1分を切ったとのコールがあり、慌てて35km地点を通過。かろうじて関門時間に間に合わないところ。そのあともキロ4分半前後のペースでフィニッシュの中島公園まで走り、3時間47分28秒でフィニッシュ。キロ4分半ペースはフルなら3時間10分ペースなので、あわや35kmで関門にひっかかりそうなところからそのペースで走れば、もちろん前のランナー抜きまくり。この年の男子完走者は1591人で、私の順位は1108位。35km地点はほぼ最後尾ということを考えれば、35kmから450人以上抜いたことになります。ということで、今回の別大の35kmからの走りは2001年道マラの走りの再現みたいな感じになりました。なんとか気持ちを切り替え、終盤だけ自分らしい走りができたのは次につながると思います。本当に自分にとってマラソンの原点を見つめ直すきっかけとなったレースでした。やはりマラソンレースは難しい。だからこそ奥が深くてやみつきになります。来年の別大では42.195kmすべて自分らしい走りをしたいですね!