Yu-Run記

郵趣(切手・風景印など)とランニング・マラソンのブログです

【風景印】鈴鹿郵便局

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2018年6月16日、三重県郵便局回り(3)・鈴鹿郵便局(ゆうゆう窓口)に寄り、風景印を押印しました。

◆鈴鹿郵便局(すずか)
・住所:〒513-8799三重県鈴鹿市西条4丁目96
・図案説明:大黒屋光太夫(像)、神戸城跡
・使用開始日:2003年(平成15年)7月1日
※使用切手:[上から1枚目]荒城の月(日本の歌シリーズ切手第1集、1979.8.24発行)、[上から2枚目]千石船(船シリーズ切手第3集、1976.3.11発行)、[上から3枚目]ロドデンドロン ダウールスキーとニビャンニク オブィクノヴェンヌイ(日露交流年切手、2018.5.16発行)
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(注)上記画像(62円未満切手の押印)について、葉書大の台紙に当該切手を含め額面合計62円以上の切手2枚をそれぞれ5cm以上離して貼付し、それぞれの切手に風景印押印(1枚の台紙に額面合計62円(国内葉書料金)以上の切手に同一種類の消印を最低回数押印(前述のケースだと2回)することは、記念押印の規定で認められた押印方法)した一部分を掲載したものです。

亀山郵便局→鈴鹿郵便局の移動は、亀山郵便局→亀山駅、河曲駅→鈴鹿郵便局はジョグ(走り)、亀山駅→河曲駅はJR利用(青空フリーパス利用)。
風景印に描かれている大黒屋光太夫は鈴鹿市生まれの回船の船頭。1782年冬、伊勢白子から米などを江戸へ船で輸送中、悪天候により漂流。約7ヶ月後、アリューシャン列島のアムチトカ島(当時はロシア領アラスカの一部。現在はアメリカ合衆国アラスカ州)に漂着。4年を過ごし、仲間を次々と亡くす状況の中、カムチャツカへ船出。そして日本帰国のためシベリア総督府のあるイルクーツクへ行き、総督に願うも却下。スウェーデン系フィンランド出身の博物学者キリル・ラクスマンと出会い、ロシア女帝エカチェリーナ2世に帰国直訴を進言。サンクトペテルブルクへキリルとともに行き、謁見が許され、帰国許可されることに。再びシベリア横断でオホーツクから船で根室到着。実に伊勢白子を出てから10年近い年月を経てやっと帰還。このあと江戸で過ごし(1度、故郷へ帰省)、ロシアでの見聞が伝えられ、鎖国中の日本に大きな影響を与えたことになりました。
ということで、大黒屋光太夫が日露関係で大きな関わりを持っているということで、日露交流年切手に風景印押印しました。
で、大黒屋光太夫記念館(鈴鹿市若松中1丁目)の前に大黒屋光太夫像があり、風景印はその像を描いたものと思われます(鈴鹿若松郵便局風景印にも大黒屋光太夫像が描かれています)。
なお、「風景印大百科1931-2017 西日本編」の図案説明に誤りがありました(誤・光大夫→正・光太夫)。
郵便局訪局後、風景印に描かれている神戸城(かんべじょう)跡(神戸公園)へ行き、写真撮影。
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以前あった神戸城二重櫓に鯱(しゃちほこ)(鈴鹿神戸郵便局風景印に有)が鈴鹿市役所ロビーにて展示されていますが、土曜は閉庁のため、この日に見ることはできませんでした。
 
風景印/鈴鹿郵便局