2018年7月28日(土)、翌日の釧路湿原マラソン出場(7月29日(日)開催、30km)のため宿泊ということで、釧路市内run(走り)観光・その2です。
◆松浦武四郎蝦夷地探検像(幣舞公園)(幣舞町)…釧路松浦郵便局風景印
1958年、阿寒国立公園観光協会(当時)が設置。中野五一作。武四郎がアイヌの長老の案内で探検するところの像。
幣舞公園は幣舞橋の南にあるものの、出世坂を上がって左手にあるので、寄る方は少なく、さらに像は幣舞橋方向に向いており、公園入口からみると像は後ろ姿。像の正面を見る方は非常に少ないかな、と思います。なんかもったいないですね。
幣舞公園の高台から、幣舞橋&釧路フィッシャーマンズワーフ(上から7枚目写真)、ロータリー&花時計の横(上から8枚目写真)を撮影。
2018年7月18日押印の釧路城山郵便局風景印印影(郵頼)、2015年7月25日押印のフィッシャーマンズワーフ郵便局風景印印影(窓口押印)を掲載します。
◆出世坂(幣舞町)…釧路富士町郵便局風景印
1913年(大正2年)、釧路中学校(現在の釧路湖陵高校)が開校(当時の所在地は現在の富士見町3丁目)し、生徒の活躍を期待して「出世坂」と呼ばれるようになったとのこと。
◆釧路市生涯学習センター(愛称「まなぼっと幣舞」)(幣舞町)
釧路市生涯学習センターの正面と左手から撮影。正面(2階)前の広場の後方、釧路川方面を見ると巨大なグレー色の船が停泊。海上自衛隊補給館「ましゅう」でした。本当にデカい!
風景印の本で名称が「まなぽっと幣舞」とありますが、「釧路市生涯学習センター」ホームページで以下のように解説されています。
1958年、阿寒国立公園観光協会(当時)が設置。中野五一作。武四郎がアイヌの長老の案内で探検するところの像。
幣舞公園は幣舞橋の南にあるものの、出世坂を上がって左手にあるので、寄る方は少なく、さらに像は幣舞橋方向に向いており、公園入口からみると像は後ろ姿。像の正面を見る方は非常に少ないかな、と思います。なんかもったいないですね。
幣舞公園の高台から、幣舞橋&釧路フィッシャーマンズワーフ(上から7枚目写真)、ロータリー&花時計の横(上から8枚目写真)を撮影。
2018年7月18日押印の釧路城山郵便局風景印印影(郵頼)、2015年7月25日押印のフィッシャーマンズワーフ郵便局風景印印影(窓口押印)を掲載します。
◆出世坂(幣舞町)…釧路富士町郵便局風景印
1913年(大正2年)、釧路中学校(現在の釧路湖陵高校)が開校(当時の所在地は現在の富士見町3丁目)し、生徒の活躍を期待して「出世坂」と呼ばれるようになったとのこと。
◆釧路市生涯学習センター(愛称「まなぼっと幣舞」)(幣舞町)
釧路市生涯学習センターの正面と左手から撮影。正面(2階)前の広場の後方、釧路川方面を見ると巨大なグレー色の船が停泊。海上自衛隊補給館「ましゅう」でした。本当にデカい!
風景印の本で名称が「まなぽっと幣舞」とありますが、「釧路市生涯学習センター」ホームページで以下のように解説されています。
余談…まなぼっと幣舞の建物は、ポット(かっては、魔法瓶と呼びました)に似ている(塔屋の部分が、ポットの『押す』に見える?)ことから、「ぼ」を濁音ではなく、半濁音(『ほ』の右肩に小さな丸=『ぽ』)で発して、「まなぽっと」と言う方もいらっしゃいます。でも、「ほ」の右肩に濁音がつく「まなぼっと」に、地名の「幣舞(ぬさまい)」をつけて、「まなぼっと幣舞」が正しい愛称です。
とのこと。
あと10階の展望室に上がり、各方面を撮影。
・釧路港、釧路川河口、海上自衛隊補給館「ましゅう」
・製紙工場群(奥)
・釧路フィッシャーマンズワーフ(釧路川左手対岸)、幣舞橋(右手)
・久寿里橋(釧路川、手前)、旭橋(奥)
・港文館(旧釧路新聞社社屋)、石川啄木像(右)
その3へつづく…。
あと10階の展望室に上がり、各方面を撮影。
・釧路港、釧路川河口、海上自衛隊補給館「ましゅう」
・製紙工場群(奥)
・釧路フィッシャーマンズワーフ(釧路川左手対岸)、幣舞橋(右手)
・久寿里橋(釧路川、手前)、旭橋(奥)
・港文館(旧釧路新聞社社屋)、石川啄木像(右)
その3へつづく…。