Yu-Run記

郵趣(切手・風景印など)とランニング・マラソンのブログです

【run観光】釧路市観光・その3

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2018年7月28日(土)、翌日の釧路湿原マラソン出場(7月29日(日)開催、30km)のため宿泊ということで、釧路市内run(走り)観光・その3です。

◆米町公園・米町展望台(灯台型)(米町1丁目)…釧路南大通郵便局風景印
米町地区は「釧路発祥の地」ということで、米町公園を描く釧路南大通郵便局風景印に「釧路発祥の地」の文字が入っています。
米町公園自体が高台にあり、釧路港など釧路市街を眺めることができますが、展望台に上がるとさらに眺めが良かったです。
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2004年9月22日押印の釧路南大通郵便局風景印印影を掲載します。
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◆石川啄木歌碑(米町公園内)(米町1丁目)…釧路南大通郵便局風景印
石川啄木(1886年生-1912年没)は22歳時の1908年(明治41年)1月21日~4月5日の76日間、釧路滞在。歌碑には「しらしらと 氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の 冬の月かな」とあり、「一握の砂」に収められた歌のひとつ。
歌碑は啄木生誕50年の1934年(昭和9年)12月設置(1935年元日をもって数え年で50歳)。啄木の歌碑は釧路市内で最初、全国で6番目に設置されたものです。
釧路郵便局(現・釧路中央郵便局)の2代目風景印(使用期間:1950年7月15日~1963年7月24日)、3代目風景印(使用期間:1963年7月25日~1990年7月1日)にも石川啄木歌碑が入っています。
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公園内にもこの歌入りの看板がありました。
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◆高浜虚子先生歌碑(米町公園内)(米町1丁目)
歌碑には「燈台は低く 霧笛は 峙(そばだ)てり」とあります。虚子は1933年(昭和8年)8月23日に釧路を訪れ、この歌を読んでおり、訪れた68年後の2001年(平成13年)8月23日に歌碑設置です。
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◆港文館(旧釧路新聞社社屋)(大町2丁目)…釧路大町郵便局風景印
釧路新聞社は石川啄木が勤めていた新聞社。なおこの釧路新聞社は現在の釧路新聞社ではなく、1942年11月に釧路新聞社を含む北海道内11紙と合併となり、北海道新聞社となっています。その釧路新聞社の社屋を復元したものです。
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2004年9月22日押印の釧路大町郵便局風景印印影を掲載します。
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◆石川啄木像(港文館前)(大町2丁目)…釧路大町郵便局風景印
石川啄木像は1972年・本郷新制作。本郷新制作の石川啄木像といえば、函館・啄木小公園内にもありますが、こちらは14年前・1958年制作。(6月30日、函館滞在時に撮影)

run観光/函館市観光・その2(2018.6.30)

制作当時は幸町公園(幸町12丁目、釧路中央郵便局そば)に設置されていましたが、1991年、旧釧路新聞社屋が港文館として復元されたときに港文館前に移設。
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港文館(左)と石川啄木像(右)を撮影。
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港文館そばから釧路港に停泊中の海上自衛隊補給館「ましゅう」を撮影。
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その4へつづく…。