Yu-Run記

郵趣(切手・風景印など)とランニング・マラソンのブログです

【run観光】札幌市豊平区観光(4)(2018年10月)

イメージ 1

2018年10月13日(土)、札幌市内のrun(走り)観光。豊平区・その4です。

◆豊平橋(豊平川)(豊平橋郵便局、豊平六郵便局風景印)
以前は三連アーチ橋で、旭川市・旭橋(石狩川)、釧路市・幣舞橋(釧路川)とともに「北海道三大名橋」のひとつでした。
現在の橋は1966年11月1日完成。完成時は札幌市電豊平線(すすきの~豊平8丁目(定山渓鉄道・豊平駅廃止前まで「豊平駅前」)間)が豊平橋の上を運行(1971年10月1日廃止)。
橋の解説板は後述「札幌開祖 志村鐵一碑」の横にあり、以前の三連アーチ橋のイラストもあります。
豊平橋の下、豊平川の右岸側河川敷でマラソン大会を走るランナーを見かけました。
イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

◆札幌開祖 志村鐵一碑(豊平区豊平4条1丁目、プレミアホテル-TSUBAKI-札幌横)(豊平橋郵便局風景印)
志村鐵一は安政4年(1857年)、銭函(小樽)~千歳間の新道「札幌越新道」で、豊平川が今より急流で橋を架けられない状態の中、豊平川右岸(東側)に住み、渡し守と通行屋の役目を果たし、「札幌開祖」と呼ばれています。
豊平川右岸(東)、豊平橋そばにあります。
イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

◆札幌開祖 吉田茂八碑(中央区南5条東5丁目)
豊平区でなく中央区ですが、豊平川右岸(東側)、豊平橋そば「札幌開祖 志村鐵一碑」を撮影したので、その対岸(左岸、西側)にある「札幌開祖 吉田茂八碑」も撮影。吉田茂八は志村鐵一ともに豊平川の渡し守で、志村が右岸側、吉田が左岸側でした。
イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

◆旧豊平郵便局跡(豊平区豊平4条1丁目、プレミアホテル-TSUBAKI-札幌前)
開局時の局名は「豊平」、そのあと「札幌豊平郵便局」となりましたが、1962年、集配郵便局の月寒郵便局が局名改称て豊平郵便局となったタイミングで「豊平橋郵便局」に局名改称。そして1986年、南東約300m先に移転(豊平区豊平4条2丁目6-12)となり、豊平橋から約350m離れているものの、郵便局名は「豊平橋郵便局」のままです。なお北海道内で局名に橋の名前がついた郵便局は豊平橋郵便局、旭川金星橋郵便局(旭川市)の2局のみです。
イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

◆豊平町役場跡碑(豊平区豊平4条6丁目)(豊平六郵便局風景印)
国道36号線沿い、豊平橋から南東約700m先にある豊平町役場跡碑(「ここに豊平町役場ありき」碑)を撮影。
1891年(明治24年)に碑のある場所(当時は「豊平村18番地乙」、現在の豊平区豊平4条6丁目)に豊平外4カ村(平岸、月寒、白石、上白石)戸長役場が移転。
1897年(明治30年)に分割(豊平・平岸・月寒(3村)、白石・上白石(2村))。
1902年(明治35年)、豊平、平岸、月寒の3村合併により新「豊平村」発足。
1908年(明治41年)、町制施行(豊平町)。1910年(明治43年)、豊平町役場のあった場所を含む豊平町の札幌寄り一部分が札幌区(現在の札幌市)に編入のため、豊平町役場が移転(当時の「豊平町大字月寒村32番地1-2」、現在の豊平区月寒西1条6丁目(月寒児童会館))…とのこと。
で、ここの場所からほぼ南(若干西側にずれていますが)へ伸びる道路がありますが、南東に伸びる国道36号線とは垂直ではありません。で、ごく一部分を除き、その延長線上は平岸通となり、あの「本願寺道路終点の碑」にぶつかります。
イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

平岸通(平岸街道)が全国ニュースになったのは、昨年12月、某賃貸住宅仲介業店舗で爆発。多数のケガ人を出し、数日間は店舗前の平岸通が通行止となった…という事件ですね。
なお、解説文の中にある「金谷病院」(豊平区豊平5条2丁目)はのち「豊和会札幌金谷病院」を経て「豊和会札幌病院」となりましたが、2017年7月31日限りで閉院(新札幌豊和会病院(札幌市厚別区大谷地東2丁目)に一本化による)されています。で、北陸銀行と旧・金谷病院の間となれば、位置的に現在の豊平橋郵便局の付近となりますね。
これで豊平区観光は終了。次は豊平橋を渡り、中央区・さっぽろテレビ塔付近の観光です。