Yu-Run記

郵趣(切手・風景印など)とランニング・マラソンのブログです

【run観光】東京都荒川区観光

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2018年10月21日、タートルマラソン国際大会出場後、千住大橋方面の観光後、東京都荒川区・南千住駅周辺の観光です。

◆小塚原回向院(豊国山回向院)(荒川区南千住5丁目)
小塚原(現・荒川区南千住)の刑場があったことから、行路病死者、刑死者の供養のために開かれた寺。三つ葉葵の徳川将軍家家紋があります。
安政の大獄により刑死した橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎ら多くの志士が葬られています。
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また1771年、蘭学者の杉田玄白らが刑死者の解剖(腑分け)に立ち合ったことから、1922年(大正11年)建立「観臓記念碑」があります。このレリーフは1922年(昭和7年)制作。解体新書の扉絵(小田野直武画)と構図はおおむね同じですが、変えられている部分も多くあります。
この碑を描いた風景印が荒川南千住郵便局(1966年(昭和41年)11月1日~1989年(平成元年)10月2日使用(1989年10月3日、風景印図案変更))、千住大橋郵便局(1966年(昭和41年)11月1日~2002年(平成14年)3月29日使用(2002年3月31日、郵便局廃止))(※2局とも1975年(昭和50年)7月1日より局名の頭に都名「東京」付加)で使用されていましたが、現在は使用局なし。
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で、解体新書の扉絵と観臓記念碑のレリーフを見比べてみると、左側の男性は左手と何か持っているもので陰部を隠しているのは両方とも同じ。しかし右側の女性は観臓記念碑では左手と自分の髪の毛で陰部を隠していますが、解体新書の扉絵は左手が陰部の近くにあるものの、完全に隠してはいない状態。で、解体新書の扉絵はスペインの解剖学者・ワルエルダの解剖書(1614年刊行)扉絵に近く、この絵を参考に描かれた可能性が高いようですが、その扉絵では男性が左手は前方に出ていて陰部は隠しておらず、女性は解体新書の挿絵同様、陰部の近くに左手があるものの、完全には隠していない状態。なので、観臓記念碑の男女がともに陰部を隠しているところは、記念碑として一般人に鑑賞することを踏まえたデザインに修正した…と想像します。
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それでも観臓記念碑のレリーフ上部には魚2匹が柱の装飾部を食いついているところ。レリーフ下部には頭部のガイコツとヘビがあり、異様な部分もありますね。
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前述のとおり、現在はこの観臓記念碑を描いた風景印はありませんが、荒川南千住郵便局、千住大橋郵便局風景印で描かれた観臓記念碑ではレリーフ下部のガイコツは描かれていませんが、裸体の男女はしっかり描かれております。
裸体を描いた風景印は彫刻作品を描いたものなら現在も使用中のものがあり、例えば旭川平和通買物公園にある佐藤忠良制作「若い女」像を描いた風景印を旭川二条郵便局で使用しています。
また境内にある墓で最近建立されたのは、プロレスラー・プロレストレーナーのカール・ゴッチ(1924年生-2007年没)で、弟子のアントニオ猪木さんらが発起人として2017年建立。訪れたときにはカール・ゴッチが愛飲していたワインがたくさん奉納されていました。
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◆延命寺(荒川区南千住2丁目)
小塚原回向院のすぐ南にある延命寺も小塚原刑場跡。以前はここも回向院でしたが、分院独立。小塚原回向院と延命寺の間はJR常磐線があり、まさしく「分断」されています。
境内には1741年(寛保元年)建立の小塚原の首切り地蔵(延命地蔵菩薩(地蔵尊))があります。2011年(平成23年)3月11日発生・東日本大震災で被災し、いったん解体されるものの、支援により翌年・2012年に修復工事で「復活」されています。
なお、小塚原の首切り地蔵を描いた風景印は戦前(1934年(昭和9年)~1940年(昭和15年))、荒川郵便局、南千住五郵便局(1940年4月1日、荒川小塚原郵便局に局名改称(当該郵便局は廃止され、現存せず))で使用されていましたが、こちらも現在は使用されておらず。それでも昔使われていた風景印の題材を今でも見ることができ、そしてわずかながらも昔のことを知ることができ、本当に風景印収集は奥が深く、味わいがある趣味ですね!
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なお、小塚原回向院、延命寺とも2019年2月22日開催、古沢保さん主宰「風景印歴史散歩」の南千住・汐入で見学しております。