Yu-Run記

郵趣(切手・風景印など)とランニング・マラソンのブログです

【観光】東京都観光・その2(2020.3.1)

数寄屋橋公園写真
2020年3月1日、レンタサイクル(自転車)利用・東京都内郵便局回りついでの東京都観光・その2です。


◆数寄屋橋公園(中央区銀座)
東京マラソン・エリートの部終了後、数寄屋橋公園に寄る。本来であれば、東京マラソンの昼ならまだ一般ランナーが数寄屋橋公園前の晴海通りを走行中ですが、一般の部は中止のため、既に晴海通りの交通規制が解除されており、通常の状況になっていました。
公園内の岡本太郎作「若い時計台」を撮影。「時計台」というより「時計塔」ですね。

数寄屋橋公園・若い時計台写真

数寄屋橋公園・若い時計台写真

この「塔」を見て連想するのは、大阪・万博記念公園にある岡本太郎作「太陽の塔」ですね。太陽の塔、そして塔の見学での内部を2019年10月5日撮影。

太陽の塔写真

太陽の塔内部写真

太陽の塔内部写真

太陽の塔は万博開催年の1970年(昭和45年)制作ですが、若い時計台はその4年前・1966年(昭和41年)制作。「太陽の塔」制作前から生命の表現を「若い時計台」でカタチにしていた感じですね。
ネットで画像検索すると、夜の「若い時計台」はライトアップされ、時計画面やいわゆる「枝」の根本が電飾でカラフルになっているので、夜にも寄って撮影したいですね。
そして「数寄屋橋」といえば…と言っても正直ピンとこない(苦笑)ので、ネット検索したところ、1952~1954年にラジオドラマで人気となった脚本家・菊田一夫作「君の名は」(アニメ映画「君の名は。」ではありません…)で氏家真知子と後宮春樹が1945年(昭和20年)5月の東京大空襲のときに助け合って数寄屋橋までたどり着き、半年後の再会、だめなら半年ごとに会うことの約束をして、3度目、1年半後、数寄屋橋で再会するも、真知子が明日結婚することになる…というストーリーとのこと。その原作者・菊田一夫が「数寄屋橋 此処(ここ)に ありき」と書いた碑が公園内にありました。これは、数寄屋橋が高速道路建設で1958年(昭和33年)撤去。撤去された際に旧橋を忍んで翌年・1959年設置の碑。

数寄屋橋碑

数寄屋橋碑

「君の名は」はもちろんフィクションですけど、話の設定としては真知子と春樹との出会いから今年・2020年で75年ということになりますね。
余談ですが、「君の名は」といえば、20世紀デザイン切手でも登場している「真知子巻き」。これは真紀子扮する岸惠子さんが北海道ロケのとき、寒さのため手持ちのストールを顔に巻いたところから、そのまま映画撮影でも使われ、それが大流行。つまり「真知子巻き」は北海道の寒さのおかげだったのでした。なので、「真知子巻き」切手は舞台となった美幌峠を描く風景印(美幌郵便局など)がマッチングですね。決して、数寄屋橋では真知子は「真知子巻き」をしていません。


◆銀座通り(中央通り)(中央区銀座)
東京マラソンが終了したということで、銀座通り(中央通り)は歩行者天国となっていました。

銀座通り歩行者天国写真

銀座通り写真

◆東京国際フォーラム(千代田区丸の内)
東京国際フォーラムは以前、東京都庁があった跡地に建設。丸の内時代の東京都庁に東京都庁内郵便局があり、そこで使用していた風景印(1983.4.20~1991.3.29使用)に描かれていた東京都庁前設置の太田道灌像が現在は東京国際フォーラム内に「移設」されており、像を撮影。像制作(1957年(昭和32年))は早稲田大学・大隈重信像などを制作した朝倉文夫。

太田道灌像写真

太田道灌像写真

太田道灌像写真

太田道灌像写真

太田道灌像写真

太田道灌像写真

太田道灌像写真

太田道灌像解説写真

太田道灌像解説写真

太田道灌像のそばには江戸城天守のレプリカもありました。

江戸城天守レプリカ写真

江戸城解説板写真

旧東京市役所庁舎、旧東京都庁舎、旧東京都庁舎時代の太田道灌像の写真パネルが展示されていました。

旧東京市役所庁舎写真パネル写真

旧東京都庁舎写真パネル写真

旧東京都庁舎前・太田道灌像写真パネル写真

旧東京都庁舎ロビーには岡本太郎の陶板壁画レリーフ「建物のカケラ」がありましたが、都庁移転時に取り壊されてしまいました。残念…。

旧東京都庁ロビー・岡本太郎作壁画写真

このページでは偶然にも岡本太郎作品で始めて、岡本太郎作品で締めました。