Yu-Run記

郵趣(切手・風景印など)とランニング・マラソンのブログです

【千歳】山線鉄橋(支笏湖・千歳川)

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2018年6月2日(土)、朝に小樽に寄ったあと、JRで千歳移動。中央バスで支笏湖へ。で、戦前の風景印(使用期間…1934年(昭和9年)8月16日~1940年(昭和15年)11月15日)の図案に描かれている橋を撮影することに。
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まずは風景印とおおむね同じアングルで橋の全体、右側部分、バックに恵庭岳(木で隠れてますが…)の写真を撮影。橋の横には「山線鉄橋」のプレートがありました。
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今度は欄干の「山線鉄橋」表示、橋に表示の「平成19年度 経済産業省 近代化産業遺産」「PATENT SHAFT&AXLETREE CO LD ENGINEERS 1899 WEDNESBURY」のプレートを撮影。
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人道橋の入口、中央、反対側の欄干、千歳川方向の橋、橋の欄干と支笏湖&恵庭岳の写真も撮影。
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山線鉄橋の上から千歳川を撮影。この水が千歳市街、そして石狩川、日本海に向けて流れていきます。
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その戦前風景印の図案説明では「支笏湖、恵庭岳、千歳橋」とありますが、支笏湖に「千歳橋」という橋はありません(千歳市街・国道36号、千歳川に架かる橋が「千歳橋」)。支笏湖にあるトラス橋は「湖畔橋」(こはんばし)で、王子軽便鉄道(王子製紙の専用鉄道)の鉄橋。現在では「山線鉄橋」(やませんてっきょう)という名称の人道橋です。
この橋の歴史について橋のそばに1997年(平成9年)・千歳市設置の解説板があります。その内容を抜粋紹介すると…
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山線鉄橋は、明治32年(1899年)北海道官設鉄道上川線の空知川(砂川~妹背牛間)に架けられた「第一空知川橋梁」で、英国技術者ポーナル設計、英国製の200フィートダブルワーレントラス橋。
王子製紙株式会社が王子軽便鉄道を明治41年(1908年)、苫小牧~支笏湖間運行(通称「山線」)。同社が第一空知川橋梁の払い下げを受け、大正13年(1924年)、現在の位置に移設。山線は昭和26年(1951年)運行終了。
道内最古の鉄道橋として活躍した由緒ある橋を「現地で原形保存・現役で使用」を基本構想とし、平成6年~平成8年(1994~1996年)に再生、平成9年(1997年)に同じ場所で生涯現役として復元されたものである。

この内容で一部不完全・誤りの記述があると思われます。まず、北海道官設鉄道上川線は1898年(明治31年)7月16日、砂川駅~旭川駅間開業(北海道官設鉄道としては空知太駅~旭川駅間で、開業と同時に空知太駅廃止。北海道炭礦鉄道・砂川駅~空知太駅間借入により、砂川駅~旭川駅間で営業(現在のJR函館本線))。で、第一空知川橋梁が1899年に架けられたとの記述がありますが、開業年が1898年開業で、第一空知川橋梁が架けられる前に開業したとは考えづらいので、第一空知川橋梁は北海道官設鉄道上川線開業時に架けられていたと思われます(1898年架設という記載をしたサイトをいくつか発見しています)。
また、第一空知川橋梁が「砂川~妹背牛間」とありますが、1898年開業当初から砂川駅~妹背牛駅間には滝川駅、江部乙駅があり(現在(JR函館本線)と同じ)、空知川は砂川市(南東)と滝川市(当時は滝川村)(北西)との市境にあるので、「砂川~滝川間」が正当と思われます。
なお、北海道官設鉄道上川線には第一石狩川橋梁(滝川市(当時は滝川村))と妹背牛町(当時は深川村)の市町境)も第一空知川橋梁と同じ英国製200フィートダブルワーレントラス橋でしたが、第一空知川橋梁時代に水害で落橋し、その補修した跡が湖畔橋に残っていたとのことで、転用されたのは第一空知川橋梁ということが判明したとのこと。
どちらにしても、これで戦前使用の支笏湖郵便局風景印に描かれている橋は「湖畔橋」が正当。よって、橋は設置当時、そして風景印使用時とも「鉄道橋」でしたので、鉄道関連風景印となりますが、2018年4月発行「テーマ別風景印大百科Vol.1鉄道編」(日本郵趣出版発行)には未収録ですので、掲載漏れとなります。
鉄道として利用されていたのは北海道官設鉄道(上川線)(1905年4月から国有化(国鉄函館本線))としては1898年(明治31年)~1919年(大正8年)、王子軽便鉄道(山線)としては1924年(大正13年)~昭和26年(1951年)となります。
鉄道橋ついでとして、旭川四条西郵便局風景印(1996年(平成8年)11月8日使用開始)に描かれているトラス構造の橋の名称が「旭西橋」(きょくせいばし)(石狩川)とありますが、風景印使用開始時の旭西橋は既に現在の橋(3代目、1995年(平成7年)竣工)で、箱桁橋(はこげたはし)。また2代目(1961年竣工)の橋もトラス橋ではなくアーチ橋(ランガー橋)。よって、描かれている橋は旭西橋ではないと思われます。で、旭川四条西郵便局付近でトラス構造の橋は第二石狩川橋梁(JR函館本線、石狩川)があるので、その橋を描いたものと思われます。(この橋も「テーマ別風景印大百科Vol.1鉄道編」未収録)