Yu-Run記

郵趣(切手・風景印など)とランニング・マラソンのブログです

【run観光】室蘭市観光

ムロラン地名発祥の坂写真

2019年4月7日・伊達市内のジョグ(走り)観光のあとJRで稀府(まれっぷ)駅→崎守(さきもり)駅移動。このあと室蘭市内のジョグ観光です。

 

◆ムロラン地名発祥の坂(室蘭市崎守町)(室蘭白鳥台郵便局風景印)
「室蘭(むろらん)」の語源はアイヌ語「モ・ルエラニ(小さな・下り路)」から転化したもので、「ムロラン地名発祥の坂」看板がある坂を「モ・ルエラニ」と呼んでいて、松浦武四郎が探検し、「モロラン」を「室蘭」の文字に当てはめたようです。
今はこの坂の南に海岸線沿いの道路が通っていますが、昔は伊達(黄金)方面と登別(幌別)方面を結ぶ唯一の道だったとのこと。後述「東蝦夷地南部藩陣屋跡モロラン陣屋跡」もこの坂から東約2km先にあり、以前はこの周辺が「モロラン」地域の中心地だったようです。
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◆室蘭市民族資料館(とんてん館)(室蘭市陣屋町)(本輪西郵便局風景印)(本輪西郵便局風景印)
JR崎守駅と本輪西駅とのほぼ中間に位置。そばに国指定史跡「東蝦夷地南部藩モロラン陣屋跡」があります。そのモロラン陣屋跡から発掘された埋蔵文化財などが収蔵展示されています。
愛称「とんてん館」の由来は、鉄を打つ音「とんてんかん」、屯田兵の「とんでんへい」の音を掛け合わせ、「かん」の音を「館」としているとのこと。
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資料館前には当時の国鉄札幌鉄道管理局から1980年寄贈の「貨車用スポーク型長軸車両」とドイツ・クルップ社製造(1890年)レールが展示。
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◆東蝦夷地南部藩陣屋跡モロラン陣屋跡(室蘭市陣屋町)(本輪西郵便局風景印)
江戸幕府が蝦夷地(北海道の当時の呼び名)を外国の侵略を防ぐため、東北地方の諸藩に沿岸警備を命じ、東蝦夷地(函館~幌別(登別))は南部藩(盛岡藩)があたり、1856年(安政3年)~1868年(慶応4年)の約13年間、常駐していた陣屋跡。1934年(昭和9年)、「元室蘭南部藩陣屋跡」として国史跡に指定。その後、分屯所の「ヲシャマンベ陣屋跡」(長万部町)、「砂原陣屋跡」(森町砂原(さわら))が1974年(昭和49年)、国史跡に追加指定されたことから名称も「東蝦夷地南部藩陣屋跡モロラン陣屋跡」に変更。
まずは陣屋跡内陣の北東部にある碑(2003年11月建立)を撮影。
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風景印に描かれている碑はJR室蘭本線・崎守駅~本輪西駅間のすぐ北にあるので、車窓(下り(崎守駅→本輪西駅)だと進行方向左手)から見ることができます。JR室蘭本線の南側にある道路からも線路越しにその記念碑が見えるので撮影(風景印に描かれている碑は中央やや右側。左側は旧名称の碑)。
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本輪西郵便局風景印に描かれている碑(1974年3月15日建立)を撮影。
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その横にある解説板。
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旧名称の碑(1954年8月1日建立)を撮影。碑の台座に「百年祭記念建立」とあり、設置年は1954年ですが、陣屋設置は1856年…この「百年」は「数え年」でのカウントと思われます。なお、2004年(平成16年)には「150年祭」も行われたとのこと。
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陣屋跡内陣の案内図を撮影。
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で、陣屋をつくるにあたり、1855年(安政2年)に事前調査が行われ、調査をしたメンバーの中に新渡戸稲造の父・新渡戸(新渡部)十次郎がいたとのこと。新渡戸十次郎は休館中の新渡戸記念館前に像があり、十和田穂並町郵便局風景印に描かれています。

 

風景印/十和田穂並町郵便局(2015.5.11押印)

 

そして、地名「陣屋町」の由来はこの陣屋を築いたことことからです。
このあとそばの陣屋町バス停から道南バスに乗って東室蘭駅へ移動…する予定でしたが、4月1日のダイヤ改正で、私が乗ろうしていたバスの到着時刻が20分ほど繰り上がっており、次のバス到着時刻まで1時間もあるため、東室蘭駅まで約7.5kmを走ることにしました。
これで伊達市・室蘭市観光は終了。この日の走行距離は朝まで宿泊していた民宿→洞爺湖バスターミナルの移動、約3.5kmを含めて約31kmでした。