Yu-Run記

郵趣(切手・風景印など)とランニング・マラソンのブログです

【run観光】網走市観光・その1

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2018年7月30日、網走市周辺での郵便局(風景印押印)&丸型ポスト巡りのついでにrun(走り)中心の観光をしました。小清水町の次は網走市です。

◆網走市カントリーサイン(上から1枚目写真)
デザインは「流氷、ニポポ人形」。流氷、ニポポ人形とも網走市内郵便局の風景印に登場していますね。

◆網走市立郷土博物館(桂町1丁目)…旧・網走郵便局風景印
開館は1936年(昭和11年)11月3日。開館当時社団法人北見教育会が「北見郷土館」として開設。その後、網走市に移管され、現名称になっています。
建物設計者は田上義也(1899年生~1991年没)
網走郵便局の2代目風景印(使用期間:1950.7.15~1987.9.30)に登場。使用開始時点の名称は「北見郷土館」のままでした。
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◆桂ヶ岡砦跡(かつらがおかちゃしあと)(桂町1丁目)
網走市立郷土博物館のそばにチャシ跡及び碑があり、碑には「史蹟 桂ヶ岡砦阯」と書かれています。
釧路市でも「モシリヤチャシ跡」のチャシ跡に寄りましたが、網走でもチャシ跡を偶然見つけました。
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◆旧網走駅跡(南3条西3丁目)
セブンイレブン網走南3条店の南にある駐車場近くに「旧網走駅跡」碑があります。
この網走駅関連の歴史を抜粋して紹介いたします。(★印は旧網走駅跡碑に書かれている内容)

1912(大正元).10.5 野付牛(現・北見)-網走間開業、網走駅(初代)開業。★
1924(大正13).11.15 網走(初代)-北浜間開業
1925(大正14).11.10 北浜-斜里(現・知床斜里)間開業
1929(昭和4).11.14 斜里(現・知床斜里)-札鶴(現・札弦)間開業
1931(昭和6).9.20 札鶴(現・札弦)-川湯(現・川湯温泉)間開業により、網走(初代)-札鶴(現・札弦)は川湯-東釧路間(釧網線)を含め、釧網本線に改称。
1932(昭和7).10.1 中越-白滝間開通により、新旭川-中越(石北西線)、白滝-遠軽(石北東線)、遠軽-野付牛(湧別線の一部)を合わせ、新旭川-野付牛(現・北見)間を「石北線」に改称。
1932(昭和7).12.1 網走駅が約700m西に移転(2代)。初代・網走駅は浜網走駅改称。網走駅(2代)-浜網走駅は石北本線貨物支線に変更。★
1961(昭和36).4.1 新旭川-北見-網走間「石北本線」に改称(池田-北見間は「池北線」に改称)。「網走本線」の名称消滅。
1969(昭和44).10.4 浜網走駅が網走駅西約1.3km(実質的に網走-呼人間)移転。★
1984(昭和59).2.1 石北本線貨物支線・網走-浜網走間廃止

初代・網走駅は野付牛(現・北見駅)方面と釧路方面の列車は同じ方向に進行。つまり、網走駅経由の列車は網走駅でスイッチバックする必要があるため、進行方向を変更しなくてもよくするため、網走駅の位置を西へ移転(現在の位置)となりました。
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◆中央橋「朝翔」「夕翔」
網走川に架かる中央橋の欄干にある2羽の白鳥の像(1980年・本田明二作)。
西にある東向きの白鳥が「朝翔」、東にある西向きの白鳥が「夕翔」。つまり、朝翔の白鳥は朝日を、夕翔の白鳥は夕日を見つめています。
本田明二作の彫刻で風景印に描かれているのは旭川市・スタルヒン像(旭川スタルヒン球場前、旭川春光六郵便局)、虻田郡豊浦町・開基百年記念像「明日を拓く」(東雲山村広場内、豊浦郵便局)があります。
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この日の網走市は最高気温34度まで上昇。網走市街にあった気温表示、午前10時30分頃で既に33度となっていました。北海道にとって暑過ぎ…。夕方、本州の長距離陸上部の実業団選手がジョギングしているところを見かけましたが、涼しさを求めて北海道に来ているのに、この暑さはホント申し訳ない…という感じですね。
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その2につづく…。