2020年2月29日、レンタサイクル(自転車)利用・東京都内郵便局回りついでの東京都観光・その3です。
◆鈴ケ森刑場跡(鈴ケ森遺跡)(品川区南大井)
鈴森山大経寺の境内に鈴ケ森刑場跡があります。「鈴ケ森遺跡」として東京都指定旧跡(1955年(昭和30年)3月28日指定(1954年(昭和29年)11月3日、都史跡指定))。
品川郵便局2代目風景印デザインに「都旧跡 鈴ケ森遺跡」碑が描かれています。風景印では碑の横に解説板がありますが、現在のもの(2012年(平成24年)設置)とは異なります。
鈴ヶ森刑場受刑者之墓碑を撮影。
鈴ケ森遺跡にはたくさんの碑があり、文字が読み取りづらいものが多い中、「鯉塚」碑と非常にわかりやすい碑がありました。ただし解説がないので???ですが、大田区・森ヶ崎水再生プラザ(下水処理場)付近に以前、森ヶ崎養魚場で鯉などを養殖していたことから、鯉を供養する碑と思われます。
「火炙台(ひあぶりだい)」と「磔台(はりつけだい)」を撮影。響きそのものが時代劇に出てくる処刑シーンを思い出します。
水難者供養塔を撮影。台座に「御林漁業」記載有。「御林(おはやし)」は当時の地名(現在の品川区東大井)。
「一切業障海皆従妄想生」碑を撮影。
「鈴森之碑」を撮影。1911年(明治44年)2月建立。
首洗いの井戸を撮影。
「勇猛院日健尊儀」を撮影。「勇猛院日健」は彰義隊士・渡辺健蔵。1868年(明治元年)、官軍と旧幕府軍との争いの最中、官軍が民衆に対してひどい振る舞いを官軍本陣・池上本願寺の有栖川宮熾仁親王へ直訴するも捉えられ、寺前の霊山橋(りょうぜんばし)で斬首。鈴ヶ森刑場でさらし首にされたとのこと。これが鈴ヶ森刑場での最後の処刑といわれています。碑は50回忌にあたる1917年(大正6年)建立。
この歴史については、旅行後にブログ掲載のため調べたところですが、同日、渡辺健蔵が捕らえられた池上本門寺、そして狙っていた有栖川宮熾仁親王の像(有栖川宮記念公園)とも同日に撮影しており、偶然がここまで重なるとちょっと恐ろしいものがあります。
このほかにも「大震 火災 殉死者供養塔」碑、馬頭観世音碑などを撮影。
改めて鈴ヶ森遺跡全景を撮影。鈴ヶ森史跡保存会設置「東京都史蹟 鈴ヶ森遺跡」表示がありましたが、1992年(平成4年)設置なので、設置時点だと「東京都指定旧跡」(2020年4月時点も同様)という表記が正当です。
◆しながわ水族館(品川区勝島)(品川南大井郵便局風景印)
と言っても、入館はせずに水族館周辺の様子のみを撮影。<周辺は工事中のところが多く、フェンス等により入場不可エリアがありました。
その4につづく。